今日は、少し専門的な話になってしまった。
日本の医学教育では、ここ最近、外傷(交通事故や転落事故などの傷害)に興味を持つ人々が増えてきた。
以前は、日本の医学の分野では、交通事故などの外傷患者に対する標準的な教育は行われていなかった。救急の分野で、癌の手術だけではだめだ、救急の外傷患者を救いたい、という人々(主に外科医)が先駆者となって、日本での外傷学は発展してきた。しかし、当時の日本では体系的な教育がなく、皆経験を重ねることで、主に救命救急センターという職場で教育を受けてきた。
僕は、医師となって最初の4年間は救急部に所属し、様々な外傷患者を診てきた。しかし、患者を救うためには外科医としての修行が必要だと考え、その後、外科の道にすすんだ。外科医として7年間、胸部外科(肺癌、乳がん、縦隔腫瘍など)、腹部外科(消化管、肝胆膵など)の腫瘍学を中心に、緊急手術もこなし修行した。その中で、交通事故の少女を救えなかったことが原因で、外傷外科を自分のすすむ道と決め、外傷学とは何かを求めるようになった。
日本の外傷に関する教科書を読み、外国のテキストを読んだりしながら、いつしか外国で外傷の勉強をしたいという気持ちが強くなった。当時、日本には医師を対象とした外傷のコースがなかったため、香港に行き外傷コース(ATLS:Advanced
Trauma Life
Support)を受講した。
その後、オーストラリアに渡った。オーストラリアは、米国と違い、銃や刃物などによる鋭的損傷(外傷)よりも、転落、交通事故などの鈍的損傷が多く、その外傷形態が日本に近かったのが、オーストラリアを選んだ理由だ。
その施設は、オーストラリアの南東の地域の中心となる外傷センターで教育病院だった。そこには、外傷外科医になるために外科医が外傷センター(Trauma
Office)にローテーションでやってきていた。しかし、日本と違っていたのは、その施設にいるすべての外科医が、外傷治療のトレーニングを受けており、緊急の外傷の手術に習熟していたことだ。
ある日、交通事故の患者が搬送されてきた。
その患者は、比較的血圧が安定していたため、救急外来を担当した医師は、初療で検査をオーダーし、患者をストレッチャーで移動させていた。比較的、のんびり時間をかけていた。私が、腹部を触診した際、腹膜刺激症状(腹膜炎のときの所見)を疑わせる所見があり、Directorのマイケルにそのことを告げた。すぐにCTをオーダーし、腸間膜損傷を疑い開腹することが決定された。マイケルは私に執刀するように言った。
手術に入る前、一緒に手洗い(手の消毒のこと)をしている時、マイケルは言った。
「Yoshi、これがTraumatologyだよ。」と。
「あー、そうなんだ。これがTraumatologyなんだ。なにも、難しいことではないんだ。」本や教科書を読んでいただけでは、わからなかったことが、この一言で、目の前の霧がスーッと晴れたような気持ちだった。
私の留学は、この一言で達成した、と思った。オーストラリアを去るとき、
「君はファミリーだよ」と言ってくれたこともうれしかった。
外傷学は、外科医だけのものではない。外傷患者が運ばれてきた時に、何が最も緊急性があるのか、何を先に検査をしなければならないのか。その優先順位を選択し、マネジメントし、患者が助かる最善の方法(治療法)を選択し、実行する学問である。
今の日本で、そのトレーニングの場はどこにあるのか。CTや血管造影などの設備が整った外傷センターなどの施設を造り、外傷患者を集めて、そこに外傷を学ぶ医師を集約するのも一つの方法だろう。しかし、設備の整った恵まれた環境で外傷外科医は育つのだろうか。設備のない、整形外科、泌尿器科、呼吸器外科、消化器外科、脳外科、形成外科のいない施設にも外傷患者は運び込まれているのが現状だ。
今、伊江島という離島に時々、診療で行っている。もし、外傷患者が来て、夜中や、搬送に間に合わない時は、自分でやるしかないと覚悟している。
しかし、大きな病院にいる時は、各科の先生に任すところは任せるというスタンスを取ると思う。その時、外傷患者の全体を見て、何を優先すべきかを常に考え、患者のそばを離れないことが自分の役割だと考える。
それが、外傷学Traumatologyを目指してきた、自分の果たすべき仕事だと思う。
2008年7月26日
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