2008年1月アーカイブ

今日は午後から天候が崩れ、雲が山稜を不鮮明にし、ヘリは有視界飛行のため運航ができない状態となった。その間は、ドクターカー出動となった。


沖縄には、我々の運航しているのを含め、民間での救急ヘリが2機ある。一つは主に、離島からの搬送を主に行なっているが、いろいろな特徴があってもいいと思う。それぞれの地域性を生かして、本当に住民にとって必要で重要な仕事であればそれでいい。沖縄で、2機体制でそれぞれの持ち味を出して、協力し合えることができるといいと思っている。


北部のMESHは現場出動が多いが、もちろん離島搬送も行なっている。要請があれば、どこまでも飛んでいく。特に制限はない。県外であってもかまわない。ただ機体がAS355でやや小柄でもあり、安全を考え、70km圏内(北側では与論島まで)までが飛行範囲という設定だ。


北部にはもう一つ医療機関がある。県立北部病院である。北部の外傷の中核を担ってきた病院である。私も沖縄に去年の4月に赴任したばかりでこれまでの経緯はよくわからないが、もっと交流を行い、北部で医療を完結できる体制を地域住民のために構築していく必要があると思う。


お互いの救急の現状を常に連絡しあい、患者がスムーズに流れるような体制を作る必要がある。


                           2008年1月30日(水)

今日もヘリ当番で病院に待機している。天候は曇りだけど、運航上は問題なさそうだ。


昨年の6月に運航が開始して以来、122件の出動。現場出動が8割を占めているが、離島も抱えているので病院間搬送も一つの役割だ。


この事業も救急隊、住民の方々に徐々に浸透しつつあるようだけど、ヘリに限らず現場に我々医療従事者が行くということが一番大切だ。確かに時間との勝負でヘリが有効な搬送手段ではあるのだが、何も遠い地域だけが対象になるのではない。そのあたりの啓蒙が必要だと思う。


ヘリが飛べない時、たとえば天候が悪い時はドクターカーという病院の救急に乗り込んで出動しているのだが、昔(10年ほど前)、自分は、鹿児島で現場出動をしていた。最初は自分のバイクに乗って現場に向かっていた。夜ももちろん出動していた。ある日、夜中、高速道路で車の衝突事故があり現場出動の要請を受けた。家からバイクで飛び出したのだが、やはり赤ランプは付けていないので信号で止まっていたところ、信号が青になって出ようとした時、目の前を信号無視の車が猛スピードで横切り危うく轢かれそうになった事があった。「あっ、これは自分がやばいな」とヒヤッとしたのを覚えている。それ以後、病院で、赤色灯を搭載した乗用車を購入していただき、トランクにいつも救急バッグを積んで、使用することになった。それからは、要請があると、自宅から赤色灯を回して出動し、病院からは救急車が同時に出動して、現場で救急隊員らと一緒に処置にあたり、自分は救急隊の車両に同乗して一緒に病院に向かうというかたちが出来上がった。


その当時のことを考えると、そういう出動が可能な背景には、救急部の看護師、救急コーデイネーターがいたからできたのだと思う。自分も若かったから、無茶もできたんだろうけど、あの当時は、患者を助けるにはどうすればいいのか、みんなで考え一つになって動いていた気がする。あの頃の仲間とは今でも心が通じている


沖縄に来て、長年の夢をかなえ、救急ヘリで出動をしているのだが、近辺の地域では、夜間を含め、ドクターカーの出動が必要だと思っている。


これからの課題は、昼間だけではなく、夜間も現場出動の体制を作っていくことだと考えている。


この話題になると、話がどんどん長くなってしまう。


今日もヘリ待機...

                           2008年1月26日(土

一つ一つの命は儚いものだから、慈しみ大切にしたい、と思う心。

今、処置中で手が離せないから、と断ることは簡単。

だけど、そのせいで、1人の患者が路頭に迷うのであれば、心が痛まないのか。

過疎地で十分な医療を受けることのできない人がいる。しかし、この医療設備の整った日本の中で、受入れを断られて亡くなる人がいる。何が世界レベルの医療なのか。日本の医療はどうなっているのか。

勤務医は疲弊している、医療崩壊だ、と叫ばれている。

だが、疲弊していない勤務医もいる。
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